二十世紀からの手紙

幕末に近藤勇の新撰組が最後に陣営を敷いた現在の流山市(当時は東葛飾郡新川村)に私はこの世に生を授けられた。20世紀のある年のことである。

子供の時に東京オリンピックが開催され、自衛隊のブルーインパルスが秋空に見事な五輪を描いたことを昨日のことのように思い出す。その後世間は七〇年安保により学生運動が盛んになる。高校の卒業式に機動隊が待機していた青春時代である。

 

全共闘の思想も手段も支持しないが、その心情は理解できた。当時沖縄は日本に返還されていなかった時代である。

その後のキャンパスライフは深夜放送世代でフォークや新ジャンルの音楽に癒されていた時代である。当時21世紀はまだ遠く未来社会のイメージがあって、SF小説に描かれるような明るいイメージがあった。
やがて社会人になってからは、その後のオイルショックプラザ合意以降の円高、バブル現象とその後のバブル崩壊により「土地神話」や「高度経済成長」という言葉が消えていった。

思えば20世紀の後半は日本にとってはジェットコースターのような経済のうねりに翻弄されたような時代である。世紀末に起きたバブルの崩壊は価値観を180度転換するような出来事である。

そして失われた10年からいつの間にか失われた20年といわれ安定成長が当たり前となった頃に、今度は日本列島に「3.11」という未曾有の災害が起きて、戦後の日本社会のもう一つの神話である原発の「安全神話」が崩壊した。
私の福島の友人が20年前に「東京の電力のために福島に原発を造っているのはおかしい」と問われたことがあった。その時は彼の地元愛に感心しながらも、地域エゴではないかと思ったりもした。

その彼の危惧が20年後に現実のものになるとは当時は芥子粒ほども思わなかった自分の不明を恥じるばかりである。その彼も事故の1年後に旅立ってしまった。若すぎる旅立ちであった。人の人生と社会的な事象が密接だということを考えさせられた出来事である。その彼も不動産鑑定士であった。

先日、20年前に書かれた父の従軍記を読んでみた。父は先の大戦で二度応召している。彼は21世紀を目前にした1999年に旅立った。その3年前に書かれたものであるが、50年前の出来事をつぶさに記録しており、その記憶力に感嘆する。

父の世代にとって天皇制は精神的なものとして維持されていたこと。また戦場の筆舌に尽くせない悲惨さ。共に戦った戦友との絆の深さ。また人間同士は国や民族が違っても同じであること。また、戦争によって誰も得をせず、常に庶民が犠牲になること等が伝わってきた。

父が従軍記を書いたのは自分の命の限界を感じて、後世に残しておきたいという使命感が書かせたものと思われる。その文章に今まで読もうとしなかった自分の至らなさを詫びるばかりである。

父は戦地で結核を患い終戦の半年前に内地に送り返され、20年3月には広島の軍の病院にいた。その後4年にわたって闘病したことは彼をして青春を戦争に捧げたと言わせたのも頷ける。

戦争の記憶も、バブル崩壊も原発事故さえもいずれ人々の記憶の彼方に遠ざかっていくことと思われる。しかし忘れてはいけないことは、これらは人間が起こしたことであって、その原因もきわめて類似しているのではないかということである。
(「鑑定の広場」に掲載されたエッセイより)